言語化できないことが伝わる

先日、毎週水曜日のオンラインサロンにて、少し未来の話をすることがあった。

netto(ねっと)のスタッフが少しずつ増えてきている。
今月兵庫県で開業したスタッフで何番目だろうと、数えてみたら15番目の開業であった。

起業支援も日々のサポートも今のところはなんとかできているが、
将来的には地域で分けたり、人数で分けたりする必要が出てくるのかもしれないと思い始めていた。

かなり前の話になるが、netto(ねっと)を開業した当時、「話が聞きたい」と尋ねてきた方がいた。
調子に乗っていろいろと話をしてしまったのだが、
その人は別で開業して「暮らし支援サービス〇〇」という屋号を掲げていた。
その時はアイデアが盗まれたような気がして、あまりいい感情は湧いてこなかった。

netto(ねっと)という屋号の由来は以前コラムに投稿したが、
この考えは今も変わっていないし、間違ってはいなかったと、その想いをより強くしている。
ただ言語化できているのはここまでで、それ以上に伝えないといけないと思っているが
うまく伝えきれずにいることがたくさんあって歯痒さを感じる。
だから毎週水曜日、netto(ねっと)のスタッフみんなが忙しいのは分かっているが、必ずミーティングを開催し、
日々の活動報告や雑談を交わすようにしている。

あまりにもくだらない話が多く、気が引けるというかスタッフには申し訳ない気持ちもあるのだが、
ちょっとした雑談の中に、言葉の端々に、会話の中で動き出す感情の機微に、言語化できない大切なことが
含まれているような気がしてならない。

なぜ私たちはこの仕事を選んだのか?
この仕事を通して何を世の中に伝えたいのか?
どのように自分がお役に立てるのか?
社会にとって私たちの仕事はどのような意味を持っているのか?
関わる相手にはどのような人生を歩んでもらいたいのだろうか?

リスクをとって開業し安全な道を捨てたからには、そういった「なぜ」を突き詰め実行し、
結果を体感することなしには続けていくことはできないだろう。

単純に独りよがりな想いの先行だけでは、長く続けることはできないと、今ならはっきりと分かる。
あくまでも「社会という複雑な網の中のわたし」なのだ

「暮らし支援サービス〇〇」で開業した方は、事業としては継続しているが、
現在は副業のような形に落ち着いたようだった。

将来、netto(ねっと)を分ける、独立させるということになったとき、
ただノウハウを知っているということだけではなく、言語化できないことまでもしっかりと身につけ伝えられる方になら、
その役割を任せても大丈夫と思える。
そのことをミーティングで伝えた時に、思ったよりもみんなの反応が良かったような気がして身体が熱くなるのを感じた。
ただ規模を大きくしていくつもりは最初から考えていないが、
「手に届く範囲の人を」支える人の輪は時間をかけて拡がっていくのかもしれない。

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