扶養義務って必ずしも直接介護することではないよねって話
「家族にやらせないとね」という言葉への違和感
空調の効いている事務室に入るや否や、暑いですねと口にしながら、持ってきた書類をケアマネのAさんに手渡しました。
最近は誰と会ってもこの言葉を口にしているのですが、返ってくる言葉もみんなみんな判を押したように大体同じようなものです。
それから5分ほど、netto(ねっと)として関わらせてもらっている利用者さんについて、情報交換をしました。
ここは涼しいのでもう少し居たいなと思いながら、ふと遠方に住んでいる家族の話になった時にケアマネさんから
「家族にやらせないとね、意識を高く持ってもらわないと困るからね」
という言葉が、少しイラッとした感情を伴いながら出てきました。
遠距離介護を担当するケアマネさんの苦労があるのだなと感じるとともに、
それはちょっと違うのではないか?という違和感も同時に感じました。
介護を成功させることだけを目指すべきか
意識が低いから家族の介護に関われないのではなく、
自分たちの暮らしを大切にしているからこそだと娘さんとの普段のやりとりを通して知っていたから、
あの娘さんにもう少し自分たちの時間を切り詰めて帰省しなさいよ、と言うのが正しいことだとはどうしても思えなかった。
ケアマネさんとしては、そうすることで介護環境をベストなものにしないといけないのだと、
そういった意図を汲み取るのには十分な言葉でした。
もちろん立場上そう考えるのは普通だと思いますし何も間違ってはいない、
だけれどもそれが義務なのだからという圧を伴って投げかけられる言葉であっていいのか?ということについては立ち止まって考えたいところではありました。
娘さんは自分の仕事に誇りを持っているし、
初孫も生まれたばかりで、その子もとっても可愛いのです。
汗がまだ引き切る前でしたが、「そろそろ次の仕事が…」と言い残して僕は事務所を後にしました。
本当は「netto(ねっと)がいるから問題ないですよね?」と言いたかった。
でも誰かの常識を覆す言葉を残すときは、勝算がある時だけにしようと経験から決めていることです。
その時は十分な勝機を見出せなかったのでした。
扶養に責任をもつということであってそれはプロに任せることがこれからの常識に
今後の介護を取り巻く現状を考えると、扶養責任者が直接介護をするのではなく、プロに任せることが当たり前の時代になっていくし、そうならざるを得ないのだと思います。
ここで言う介護とは、直接身体に触れるような介護という意味だけではなく、ケアマネさんと打ち合わせをする、とか、家の手入れをするとか、ヘルパーさんとのやりとりをするだとか、そういったことも含みます。
そしてそれはnetto(ねっと)で十分対応できることでもあるし、我々もプロなのでよりスムーズに進めることができる自信があります。
極端な話をすると、家族の義務はそういった仕事が滞りなく進むための道筋を整えることですでに果たされているということではないでしょうか?
介護がうまく進んでいれば、家族が帰省して直接動かなかったとしても民法上の義務を果たしていると思います。
「それは家族の仕事でしょ?」
と介護関係者が思い込んでいる常識は、だんだんと成り立たなくなってくる、
それだけ少子高齢化は進むところまで進んでしまっているし、
晩婚化やら、共働き家庭の増加やらで、すでに家族には余力は無いのです。
余力のない人に投げかける言葉には配慮が必要だと思うのです。
そして家族の幸せについて考え、その点についても喜べる気持ちも介護に関わる人にはもっと持っていても良いのではないかとも思います。
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